高橋ブランカ『マドの世界、世界のマド』 

Voice of Takahashi Branka

台本を書き舞台にたったことのあるセルビア人の作家・写真家・俳優の高橋ブランカさん。現在ドイツのフランクフルトに滞在しているが、今も忘れられないマドについての想いを書いたエッセイを寄せてくれました。

『マドの世界、世界のマド』 高橋ブランカ

 

もう30年ですか?まだ30年ですか?「マドモアゼル・シネマ」の場合は両方とも言えます。若々しくて常に伸びようと(成長しようと?)しているマドを見ていると、本当は立派な《大人》であることは不思議に思えてきます。しかもこのワカーイ・若い53歳(笑)の私の、ついこの間始まったように感じる結婚生活と同じ年数なので、もう30年?と驚きが飛び出ていく。かと言って、遥か昔から、私たちの人生の背景に常にあるような存在にも感じるので、たった30年?とも思えます。

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私はボスニア出身の歌手・画家のヤドランカに連れてもらってセッションハウスに初めて行った時に孝さんが名言をはきました――「ヤドランカ、ブランカ…何とかならんか?」1990年代でした。その時にマドモアゼル・シネマのことも聞きました。しかし日本語と日本での生活に慣れるのに手が一杯だったので、ダンスどころではありませんでした。それとは逆に夫の勤務でミュンヘンにいた時に、ヴッパータールでピーナ・バウシュのダンサーとコラボをしますから観に来ませんか、と孝さんに声をかけていただいた時に、もう一人の日本人友達と一緒に行きました。体も脳も硬い私はその時にインプロビゼーションに参加をさせてもらい、舞台で踊る楽しみを少しかじりました。この思い出を《早送り》すると、2010年にセッションハウスのガーデンで独り芝居をした時にわずかながらでも踊っていました。ちょっとした振り付けを自分で考えて、直子さんの前で踊りましたよ!なんとぞんざいなこと!ヴッパータールに話を戻りますと、ドイツ在住の村雲敦子さんに出会って、ほぼ20年後に二人でマドの作品「彼女の椅子」に出演することになりました。赤いタートルネックセータを着た(写真がある)当時の私は、会ったばかりの敦子さんとマドモアゼル・シネマのお嬢さん達と一緒に舞台に立つ、と夢にも思えませんでした。

 

海外の生活を終え、日本に戻ったら今度は12年間東京にいました。マドの公演を恐らく全部観ました。作品に少しずつ言葉を取り入れるようになっていくマドは益々身近な存在になっていきました。表現の手段として言葉を使う私には、言葉とダンスの融合がこの上ないインパクトの強いものです。直子さんが「彼女の椅子」の大まかなアイディアを伝えてくださった時に、興奮して台詞を書きました。敦子さんの台詞と合わせたり、踊るお嬢さん達とも動きを合わせたりして、最高に楽しかったです。物書きの多くはチームワークが苦手で、私もどちらかと言えばそういうタイプです。舞台に立っても、主に独り芝居です。「彼女の椅子」はどうなるのでしょう、と最初は心配しましたが、柔らかいが確かな直子さんの指導、そして肉体的にも精神的にも完璧に調和のとれた踊り子たちの協力があってリハーサルが終わればもう次回が待ち遠しかったです。「彼女に椅子」の公演自体は、記憶がたしかならば、3回でした。2回目は初回より、3回目は2回目より良くなっていきました。どんどんやりたかったです!東京の人皆に披露してから電車に乗って日本中で公演がしたかったです。日本人皆に見せてから飛行機に乗って今度は世界のあちらこちらで公演がしたかったです。それほどこの作品は皆に通じるものだと感じていますから。

 

そして何と、望みどおりに私の故郷セルビアで公演が計画され始めました。しかしながら、基金など、または日本とヨーロッパのコロナへの対応の違いで話は流れてしまいました。残念でたまりません…。「中止ではなく、延期として見なしましょう」と主催者に言われましたが、タイミングを逃してしまったような気がします。尤も、人生は嫌なサプライズだけではなくて、どこでどのような思いがけない好都合が待ち受けているか、決して分かりません。常に新しい道を切り開いているマドモアゼル・シネマに見習って私も昨日よりも明日に全力を注いでいきます。

高橋ブランカ

ヴォイス・オブ・セッションハウス2023より抜粋

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