クラスを教えながら教わること

Voice of Taiju Matsumoto

セッションハウスで長年ダンスクラスを受け持ち、時には作品を振り付け踊ってきた松本大樹が、これからもダンスを学び踊っていく方たちへお届けする熱いメッセージです。

クラスを教えながら教わること 一般社団法人セッションハウス企画室理事 松本大樹

それぞれ違うペースで取組めばいい、こだわりは変わってもよい。大切なことは向かおうとすること。周りに同じように集中する体があるなかで取組める環境であればなおありがたい。自分もそうやってクラスを受けていた。クラスを受けて為になった、理解できたと思えるものをつくり教えていれているがそれでも、後から更に気づかされることもあり振りづくりは奥が深い。振りを作り続けていると、機能と美しさを兼ねた魅力あるつながりを組み立てられそう、におうぞ、と " 動いてわかる気持ちよさ " をつくれるときもある。使う部位を腕から首周りへ流れを変えてみたり、足を運ぶ前にねじってから進めて方向を変えてみたり。生徒のころ、先生の作り出す動きの組み合わせの美しさを見て惚れリリース?テクニックに没頭し、組合せの順序を踊ってみて感激のあまり授業中動けなくなり、傍らから動く生徒らを眺めて、配置された振りの斬新さを感動を伴って掴んだ舞踊体験が、動きを作っていく美的感覚として刻まれている。

 

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生活もしながらどうやって毎週々々あのような新しい組み合わせを作り続けてくれたのだろう?知らないで渡った土地で、自分はあのセンスにめぐり会え、繰り返し浴びることを許されて何て幸運なことだったろう。踊ったことなんてない、という人にこそクラスに出て、動いた事のないシークエンス/連鎖を体で通ることで身体の話しかけてくる言葉、感覚に耳を傾ける時間をつくってほしい。それぞれ違うペースで、違うことにこだわってよい。それがまた変わっても。クラスという場は周りに同じように集中する体がある中で自分に向かうことが出来る。

 

教えていると、クラスを受ける人の成長や気づきにたちあわせてもらえる。その人のことを大切に思っている親御さんや家族ならこういう成長している姿を見たいだろうなぁ。クラスは、観ても尊く貴重で刺激的な体験がいつも起きている。 ダンス学校を卒業して教え始めて2年ほどした頃、クラスを受けもつことにつまずき、もう一度あの先生のクラスを見学したくてラバン・センターを訪ねた。先生のつくるムーブメントは僕を救うと感謝を伝えることが出来てそれはよかったが、つまづいた気持ちが晴れることはなく、整理のつかないなかなか難しそうな宿題として持ち帰ることとなった。僕のクラスにも何年も前によく出ていた人がふらっとクラスに現れ体に集中して帰っていくのをみる時それを思い出す。踊って動くことを通じて考え、知り、言葉にできない疑問点に到達させてくれる。頭では整理などすぐにはつかない現実を、踊って音に体をゆだねることで眠りがするような整理をしているのかもしれない。踊ることも、踊りを観ることにもそういう力がある。もう一度訪ねたラバン・センターから持ち帰った宿題が難しく思えたのは、その力が深く馴染んでもないまま先生として、ガイド役としてクラスを運んでいた居心地のわるさを、恥ずかしく感じいたたまれなかったからだろう。今は、集まってくる人それぞれのペース、集中があってよくて、そんなふうに恥ずかしく感じることは要らないものなのだと思えるようになった。

 

踊りを観ることにも力がといえばセッションハウスには「シアター21フェス」という公演がある。1997年からスタートして金曜の21:00 からダンスを観ようとその名がついたと聞くロングヒットなプロジェクト。今ではチャレンジあり、折角作ったんだからの再演作品あり、試み取り組みジャンルレスでバラエティ。週末にしっかり観る時間をとり公演している。21を観るとき、その多様な工夫やそれぞれの意識が受け取れる。鑑賞は体験のほどを映す鏡で、観た感想もまたそれぞれのところがかえって安心する。どこをどう工夫したかや何を意識して創ったのかはアフタートークを催してもらうか友人でもないかぎり本来知ることなどないわけだが、自分がもしダンスクラスに出たことがあって、自分を見つめ、自分で考え、探せた経験があればその経験をもって、初めて観るこの舞踊作品をつくった振付家の発想や苦労を自分なりに想像し、試みの意図や振付家の意識に観ながらたどり着く手助けをしてくれるかもしれない。苦しんだ、試みたクラスでの経験があったからこそダンサーとして創る意識を想像できる力が備わるかもしれない。探そう、向かおうとする熱は思わぬ視点から、思わぬ瞬間、まだ誰も見たことのない未来を形にしていくかもしれない。それもまた、踊り、観ることでたどりつき受けとる力のあらわれ。

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斯く言う私にも、セッションハウスは未来からのメッセージのように踊りに、日々を生きるために必要な企画や提案を柔らかく用意してくれてきた。私はその時はひたすらその用意された栄養を食べるだけで、のちのち気づけたり、気づけなかったり、効いてきたりしながら日々、得た養分で踊れてもいるわけです、ものによっては何年も何年もかけて自分を正しながら。ダンスを観ながら、クラスを教えながら、教えてもらい、ひらめき、また伝えながらの毎日である。

松本大樹

ヴォイス・オブ・セッションハウス2023より抜粋

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